はるか彼方、首都へ
12/1、12/2に首都リロングウェでマラウイに派遣されている隊員全員が集合して行われる活動報告会と安全総会があります。隊員の出席は強制であり任意ではありません。
ということで、カロンガから首都へ行くのにどれだけ面倒くさく、大変かをここでお伝えします。
カロンガ隊員は首都への移動が本当に大変なのでこのような機会がない限り、首都に行くことは滅多にありません。
そんな訳で、嫌々ながらも首都に上がらなければなりません。
移動にかかる日数、2日!(片道)
1日目にカロンガ→ムズズ(北部最大の町)へ移動。ミニバスで4時間~4時間半。(ミニバスは満席にならないと出発しないため、平均待ち時間は1時間)
その日はムズズ泊
2日目にムズズ→リロングウェへ移動。アクサバスという高級大型バスで6時間。(定時に出るバスは1日1本、朝6時のみ)
例えば、首都での用事が1日の場合、カロンガ隊員は往復含め、5日間かかることになります。JICAのルールで所属先の5営業日以上休む場合は、公務であっても所属先帳からの承認書をもらわなければなりません。
もう色々と面倒くさいので首都、行かないですよねー。
こうしてカロンガ隊員は任地カロンガに引きこもりになっていきます。
旅慣れている人は、たったの10時間バス移動、1日での移動余裕。と感じる人も多いでしょう。
しかし、私達隊員は日の出前、日の入り後の移動が禁止されていて、どう頑張っても1日では首都までたどり着けません。
アクサバスを逃すと、満席になるまで出発しない大型バスに乗らざるを得ないのですが、これが待ち時間3時間を超える場合もあり、さらに大型バスは停まる場所が多いため所要時間も7時間~8時間かかります。
というわけで、上に書いた方法以外で行くと、14時間以上かかります。運が良ければ12、13時間で行けるかも?それでも1日で移動するバックパッカーの方、カロンガ⇔ムズズは高低差の激しい山道で事故も頻繁に起こっています。暗い中の移動は本当に事故率も上がるので気をつけて。
まぁ、そんな訳で全然乗り気のしない首都への旅。隊員74名全員が揃うことも総会以外にないので、楽しんできますー!
難民キャンプ in カロンガ
今日は土曜休み、ということで、コミュニティ開発隊員のニャモヨさんと一緒に朝食タンザニアスープを食べ、難民キャンプに行き、昼から彼女が活動している村のミーティングに参加してきました。
タンザニアスープ。
このお店は家から徒歩5分くらいのところにあり、重宝しています。お腹が満たされたところで、難民キャンプへ。
前に紹介したDZALEKAの難民キャンプはマラウイ最大の居住地でしたが、ここはそのDZALEKAに移る前に短期間滞在するところのようです。
今回もコンゴの方達が多かったです。パッと見、約50人。
食事はWFP(国際援助機関)から、一人当たり一日450gのシマ粉、同量のシリアル、50gの豆が配給されています。水はキャンプの中に井戸(ポンプ式)があります。
野菜や肉、魚、フルーツ、飲料等は自分たちで購入します。(マンゴーの樹はその辺りにたくさん生えているので、買わずに自分で採る)
医療は、マラウィアンと同様、近隣の病院に無料で受診できます。教育は、ここは短期滞在用なので学校等はありません。長期滞在用キャンプへ移動したら教育を受けられます。
キャンプの管理者によると、公に苦情を入れる人もいないとのことで、食事面以外では特に問題なく運営できているそうです。
ただ、DZALEKAの難民キャンプが近々閉鎖されるとのことで、カロンガの一角にも長期滞在用のキャンプ(居住区)が作られる予定なのですが、こちらは短期滞在とは違い、住民たちから反対意見が出ているそうです。
主な問題は、土地。現在マラウイの人口は年々増えています。このあたりの人々は主に農業で生計を立てているのですが、水不足による農作物の不作や、インフレ、物価・地価の上昇もあり、家を建てる場所、農業をする土地が不足…までいかないまでも、昔の有り余っていた状況からは一転して余裕がなくなってきています。近隣住民たちは危機感を持っており、難民キャンプ建設に反対しているのだそう。
最貧国の一つマラウイ。多くの問題を抱えつつ、それでも難民を受け入れ続けます。今後、どうなっていくのでしょうか。
ちなみに、難民キャンプの隣には、刑務所があります。特に柵もなく、逃げようと思えばすぐにでもできそうな雰囲気です。中には畑があり、毎日農作業をしています。
白い服を着た囚人たち。
この辺りは治安は悪くないのですが、この囚人たちがガラが悪い…よく刑務所外での仕事で外に出ているのですが、私の姿を見つけるなり、チャイナ、チャンチュン(中国人に対する侮辱)、お金くれ!!!と大声で行って来たり、あからさまに馬鹿にしたような現地語を投げかけてくることがあります。腹の立つ…
そして、この2つの施設、何と私の家から徒歩5分、ニャモヨさんの家から徒歩1分でした!ペパーニ(可哀想に)ニャモヨさん。。。
午後はニャモヨさんの来週の活動かまど作りの打ち合わせでした。詳しくは次回書きます。
そんな訳で、充実した休日でした!
マラウィアンに対するストレス
任地赴任して約1か月、最近とてもストレスが溜まります。マラウィアンに対しての。
①子供達
先日、私の家の柵(グラスフェンスと呼ばれる竹でできた柵)が倒壊した記事を書きましたが、一番の問題は子供達。
元々柵は所々壊れており、時々子供たちが入ってきていたのですが、最近はアズング(白人:私)の家に肝試しに行くのが流行っているらしく、本当によく来ます。20分に1グループ位…
来るだけならまだいいのですが、私が数か月間預かっている犬2匹に対し、石やレンガを投げつけます。
犬も危ないし、私も危ない。そして修理中の新しいフェンスもまた壊れる。
という、何とも腹の立つ出来事が日々繰り返されています。
子供を捕まえて一人ずつグーで殴ってやりたい。本気で。
②その辺のマラウィアン(子供~大人まで)
家を一歩でも出ると、私達肌の色の違う人種はとにかく目立ちます。
マラウィには中国人が多く暮らしており、アジア人=中国人 という意識があります。
中国人に間違われることはいいのですが、中には明らかに中国人を侮辱している言葉を投げかける人々もいます。
チャイナ!(中国!)は良い。
チャンチュン(中国人を馬鹿にした呼び方)や、中国語(マンダリン等)のマネは明らかに悪意があります。しかもしつこい。
大抵このような事を言うのは教養の低い人とその子供。反応すればよりそいつらを喜ばせる結果になるので、ただただ我慢…
③値段交渉
グラスフェンス等の買い物で、頻繁にもめます。こちらのスタンダードが通用しない。理論的に説明しても伝わらない。物事の良し悪しの基準なんてほとんどないためなかなか折り合いがつかない。
そして、話し合いで値段を決定したにもかかわらず、最後には値段を吊り上げ、ごねる。(経験上、3人に1人程度)
外人はお金を持っている→貧しい俺にくれ!
という思考に疲れました。
④自転車をパンクさせられた
自転車人口の多いカロンガでは至る所に自転車修理、空気入れの仕事をしている人がいます。
空気を入れてもらうのに片方50クワチャ(7円)。
私の自転車の空気入れが壊れているので入れてもらったところ…見事に破裂。空気の入れすぎでチューブとタイヤが破裂しました。
入れてもらっている時に、任せて大丈夫か?という不安が頭をよぎりましたが、毎日やっていることだし…と見ていたら案の定。
問題は、だれが責任を取るか。
自転車修理なんて数百クワチャを日々いでしのいでいます。対し、私のタイヤ、チューブ交換代5500クワチャ…。払えるわけがありません。
クリスチャンの多いマラウイでは過失は許す。が基本だそうで、故意にやったんじゃないから許してあげなよ…と言われる。
まぁ、分かる。しかし、そのオーナー、パンクさせた日から腹痛を理由に私からずっと逃げ回っています。これでも許せと…!?
⑤マラウィアンネームと現地語
私は未だ現地語がほとんど分かりません。というか、英語で何とかなってしまうので覚える気があまりない…
そこで毎日のように患者から言われるのが、「何であなたは現地語が話せないんだ。もう一人は話せるのに。」そう、同じ病院でJICAの栄養士隊員が働いています。
マラウィアンからしたら見た目一緒。
来た時期は1年以上違うから先輩隊員の方が分かって当たり前。
でも、そんな事情はお構いなしに、
ここで働いている=現地語OK! ナチュラルにこの発想に至るようで。毎度毎度言われると地味にストレスです。
そしてマラウィアンネーム。マラウイ人は外国人にマラウイの名前を付けたがります。
私はずっと自分の本名で呼んでくれ!と言っているにも関わらず、毎回会う度に皆が各自勝手な名前を私に付けます。
最近は諦めて皆に各自の好きな名前で呼ばせています。反応も返事もしませんが。
こんな、一つ一つが比較的どうでもいいようなことが、毎日毎日複数個組み合わさって、大きなストレスになっていきます。
あー。家から出たくない。
でも、教養や常識のある人たちもたくさんいるし、基本的には陽気でフレンドリーでいい人たちばかりです。
赴任して1か月。ちょうどストレスが溜まってきた時期なんでしょうね。
ストレス解消法を考えたいと思います!!
隊員の防犯について -グラスフェンス倒壊-
今日は青年海外協力隊員達の特に家の安全について。
協力隊員は比較的治安のよい場所に派遣されています。紛争地帯や、重犯罪が多い地域などへは基本的には派遣されていません。
しかし、ここはアフリカ。比較的治安が良いといっても、全く安心できません。
そこで、JICAが定める安全の基準があります。
○家の立地
・近隣で強盗や空き巣被害がない
・中流階級の人々が住むエリア
・バーや酒屋が近くにない
・近くにイベント会場がない、等
○家の防犯設備
・外に面しているドアには必ずバーグラバー(開閉式鉄格子)がついていること。それには2つ以上の南京錠を付けること。
・全ての窓には鉄格子がついていること。
・基本的にはフェンスで家を囲う(立地によりない,又は半周の場合も)
・夜間の警備員の雇用(18:00~翌6:00 警備員が一人家の前で警備します)
・寝室のドアには鍵がかかり、バーグラバーが付いていること。
・外灯があること 等
○行動
・目立つ言動は控える
・行動を予測されないようにパターン化を避ける
・無駄金を持ち歩かない
・スマホを外で使用しない
・危険地区への立ち入りをしない
・イベントを避ける 等
マラウイはアフリカの中でも安全な国なので、これらのルールを守っていれば基本的に犯罪被害にあうことはありません。隊員たちの一番多い被害はスリです。
ところで、家の囲い、塀、柵?が倒壊しました。
マラウイには塀は3種類あり、
竹製のグラスフェンス
木製
レンガ制
です。住んでいる地域のスタンダードに 合わせて隊員たちの家のフェンスの素材を選びます。
私の家はグラスフェンスなのですが、一部、倒壊しました。
元々ボロボロでメンテナンスの必要があったのでっすが、支柱が折れて一気に倒壊しました。
この修理が本当に大変。
見積書をJICAに提出、承認が下りたら着工、なんですが、ここはアフリカ、マラウイ。見積もりから、グダグダ。
見積もりを取った額のものが次回は置いていない、なんてザラ。
何メートルいくら、で売ってるもののmが適当。大抵短い。
見積もりを取るものによって店をはしご。7~8km離れた場所に何回も足を運び、全ての材料をすべて別の店に自分で行って見積もり。
見積もり書をやっとの思いで仕上げ、承認を得て、次は買い物。同じ店に再び出向き、交渉。欲しいものが欲しいだけその場にある、なんてことはあり得ず、何度も何度も出向く。そして購入したら次の問題は運搬。
運んでくれる業者も、自由に使える車もない。
そこで、庶民の足、チャリマト(カーゴ)!! ただの自転車の荷台!!!!
もう、材料を集めるの、本当に大変でした。
集めてしまえば、雇っている警備員にお金を払って修理してもらうのであとは待つだけです。
今、犬を2匹預かっていて、その犬がフェンスを壊すので一部、修復は待ってもらっています。早く全面綺麗になってこの煩わしい状況から抜け出せますように。
本当に、材料の購入から工事まで全てまとめて1つの会社が行ってくれる日本ってなんて素晴らしい所なんだ!!と思えてきます。
国境付近でタンザニア旅行気分!?
今日は日曜休みだったので、カロンガ隊員のニャモヨ(マラウイでの名前)さんと一緒にタンザニアの国境付近まで遊びに行ってきました!
カロンガのバス乗り場から約1時間…
国境周辺に着きました。
私達マラウイ隊員は、陸路でタンザニアに入国することは許されていません。
どうやら、治安の悪い国から良い国、または同じくらいの国同士なら、陸路でも行けるそうですが、その逆はトラブルが発生しやすいのでダメなようです。
そんなわけで、私たちはタンザニア入国はできないので、国境付近でタンザニアの雰囲気だけ味わいます。
welcome to TANZANIAと書かれた看板の前で記念撮影をしたり、、、ご飯を食べたり。
なんといっても、タンザニアスープ‼
タンザニアスープとは主に、甘くないバナナ(プランテーン)と牛肉の煮込みを指します。
マラウイではカロンガのような国境沿いの場所を除いて、プランテーンは食べないので珍しい料理です。
私達の住むカロンガではタンザニアスープを食べられるところは何か所かあるのですが、ここのは味付けも違って美味しかったです。
レバー、プランテーン、じゃがいも、トマト、が入っていました。あ、あと唐辛子的な物(緑色の丸いもの、激辛!!)。ニャモヨさんはこれに当たって悶絶していました 笑
あとはタンザニアビール!私は普段飲まないのですが、お客さんが来た時用にお土産で買ってきました。
日帰り旅行気分でリフレッシュできました!
ニャモヨさんの任期もあと少し。こっちにいる間にもっと色んなこと一緒にできたらいいなー
絵画コンクール参加
以前、私の所属部署が決まっていない、との記事を書きましたが、
その後、とりあえず元々のボランティアの要請のあったART(抗レトロウイルス療法)クリニックで働いてみよう。ということになりました。
ARTクリニックとは、HIVやAIDsエイズの患者さんが治療を継続するためにかかる外来のことです。
そこでは、週2回、新規の患者さんたちの為のグループカウンセリング、週1回小児を対象とした日、週2回大人を対象とした診察日があります。
1日に150~200人程度の患者がカウンセリングや薬をもらいにクリニックを訪れます。
治療費は無料。ちなみに、日本でもHIV/AIDsの検査・治療は無料です。
今日はARTクリニックで月に1回行われているティーンクラブという集まりのある日でした。HIVに感染している子供たちを対象に、健康教育や相談に乗ったり、一緒に遊びをしたりする会です。
さて、この写真、何をしているところか分かりますか?
子供たちはそれぞれ好きな絵を書いています。
今日は同じ病院で働いている栄養士隊員Tさんが企画した、日本の絵画コンクールにARTクリニックの子供たちの絵を応募しよう!という活動があり、希望者に絵を描いてもらいました。
先月と今月、2回に分けて子供たちに描いてもらい、今回は35名の子供たちが参加しました。
机も十分にないので床で描いています。子供たちは自由に絵を描くことに慣れていないため、小さな絵をたくさんかいて余白が多い、という書き方をする子が多かったです。
描く内容は主に家、協会、川、木、動物です。
それに、印象的だったのは絵のテーマ。
各々、テーマを聞いたのですが、9割がた、nature(自然)か、environment(環境)でした。
紙も鉛筆もクレヨンも手に入りにくいここマラウイで、子供絵を描く機会は多くはありません。
機会があってもそのようなテーマばかりなのでしょうか…?
今回、私達が準備した画用紙、クレヨン、鉛筆を使って描いてもらったのですが、最後に回収するときに、全て揃って返ってきたことに驚きました。
貧しくて自分たちでは買えない…だけど、誰一人として物品を持ち出したり紛失させる子はいませんでした。
とても純粋でまっすぐな良い子たち。このまま育っていってくれることを願うばかりです。
私の前任の隊員も同じような企画を実施し、1人入賞しています。今回も誰か賞をもらえると、とっても喜ぶだろーなー(^^♪
ようやく任地、カロンガへ!!
Mu li uli? (ムリウリ?:トゥンブカ語でHow are you の意味)
マラウイに赴任して、今日で3か月が経過しました。そして、ようやく私の任地、カロンガに10/4赴任しました!!!!!!
同期が各任地へ赴任してからのこの2か月弱…長かった。ずっとドミトリー生活…快適だったけどそれなりにストレスも多かった。
さて、この2か月間、首都でのうのうとドミトリー生活だけをしていたのではなく、看護研修でここマラウイでの看護師資格を取得し、その登録に数日を要し、そして医療系の先輩隊員の活動見学にマラウイの南の端っこ、チョロまで行っていました。そして、3か月オリエンテーションを経て、とうとう赴任となったのです。
赴任したのはいいのですが、要請内容に変更があり、私の行く病院で院長(DHO)と看護部長(DNO)とJICA調整員の方と私で話し合いを行いました。
結局、こちらの希望を伝え、話はいったん終了。次は月曜日に続きを話すことになっています。この限られた2年間という期間をマラウィアン、私、共に有意義に過ごす為、しっかり話し合ってきたいと思います。
DHOは最近代わったばかりなのですが、幸いなことに、とても気さくで良い人でした。「あなたの興味、関心があって、やりたいと思うことをやれるのが一番良い」と言ってくれました。ありがたいです。
さて、話は変わりますが、私の引っ越し、事情があってコンロと電子レンジその他もろもろ首都に置いてきています。2日前のお昼ご飯を食べてからは、お菓子とジュースしかカロリー摂取できていません。
栄養面でそろそろまずいと感じ、初めて一人で七輪(バウラー)で料理をしてみました!
首都のドミトリーでも停電時やBBQ時に数回先輩隊員と使用したことはあったのですが。。。
結果、火を起こすのに悪戦苦闘。首都の炭はすぐ火が着いたのにーーー!
で、大失敗。炊き込みご飯以外は今一緒に生活している犬にあげました。
明日は外食にします…
看護実習終了
先週、20日間の看護実習が終了し、今日マラウイの看護師免許の登録が終了しました!!
カムズ中央病院での看護実習は色々な部署やマラウイの現状を知ることができました。
最初の2日間はshort stayという部署。
ここは外来で診察を受けた内科の患者が、投薬を受けたり、状態が落ち着くまで経過観察する場所です。
ここに来た患者は本来3時間以内に医師によって、入院になるか、ここでの治療後に帰宅するかの決定を受けます。
しかし実際は、担当医師が近辺におらず治療を受けられないまま亡くなる方や、病棟にベッドの空きがなく2日ほどここで過ごす方、状態が安定せず待合の椅子に10時間以上座っている方と様々でした。
その後の5日間は、このshort stayから入院になった患者が入るmedical ward(内科病棟)で実習しました。
ここは内科ですが、脳卒中、マラリア、肺炎、敗血症、様々な科の疾患の患者がいました。輸血も行われていました。
毎日患者の入れ替わりが激しく、入院してくる患者と退院する患者、また亡くなる患者も多くいました。退院基準も不明瞭で、退院した患者の症状が悪化し、数時間後に再入院となることもありました。
麻痺のあるような患者でも病院でできることは限られているため、即退院です。
そして2日間のemergency/casualty 日本でいう救急外来での実習。
火傷、事故、骨折等の外傷の患者が中心です。同じ部署で何故か小児の処置も行っていました。
衝撃的な事例:
①森で4人の男たちに襲われた男性
頭、腕、脚、全身に打撲・傷がありました。病院に来て数時間後に死亡。おそらくは頭部打なるほど。撲による頭蓋内出血によるもの。しかし、病院に来て数時間、検査らしいものは一切受けることなく、頭部も出血していたのか結局不明。CTdがあるのに何故検査しなかったのか不明。
②大型ナイフ(木や肉を切るもの)で襲われた男性。
背中、腕に数十センチの傷。上半身に多数の打撲。
傷はパックリと開いていましたが、本人は笑顔。経緯を聞いたところ、女性を他の男から奪ったのだとか。なるほど。でも、傷から見て、相手はあなたを殺すつもりだったと思うのですが。笑っている場合か?傷は勲章にでもなるのでしょうか…?
③火傷で皮膚がずるむけになった子供たち
母親は小さい子供たちをおぶって家事をします。マラウイでは一般家庭にはコンロはなく、七輪やたき火が一般的です。そこで子供たちはよく火傷をします。すぐに冷やせれば良いのですが、水道もない家が殆どで、土で火を消したり、痛さを紛らわせます。 すぐに冷やせないことによって重症化します。そして、汚染された水や土を創部に当てることによって感染症も引き起こします。
5日間のsurgical ward (外科病棟)
外傷や手術後の患者が入院する病棟。マラウイでは衛生状態が悪いため、小さな傷でも壊死が進みます。ほんの小さな傷だったものが、骨や腱がみえるまでえぐれてしまった人や傷にウジがわいてしまった人などもいました。
衛生状態が悪いことに加え、栄養状態の悪い人が多く、なかなか傷は治りません。
3日間のunder 5 clinic (5歳児未満の小児外来)
名前は5歳児未満ですが、実際には12歳くらいまでの年齢の子供たちが来ていました。
検診で身長や体重を計りに来たり、各地のヘルスセンターでしっかりとした治療が必要と判断されて治療を受けに来る子供などがいました。
主に、マラリア、貧血、肺炎、敗血症が多かったです。経過観察が必要な人は入院となります。
2日間のpediatric ward (小児病棟)
小児病棟は外科、内科、軽傷・感染症等で3つの部署に分かれています。HDU(重症)の病棟もあります。
1つのベッドに子供が3人寝ていたりと、かなり混雑しています。患者の半数が夕方までに入れ替わっていたと思います。母親が付き添い、食事、トイレ、お風呂等の世話をします。
このような部署を廻り、20日間の実習を終えました。
実習期間は、注射や投薬、ケア等、やりたいことは何でもできます。マラウイではこのようなことも免許のない学生が普通に行っています。なので、私たちの実習期間も「やる?」と聞かれることが多かったです。
しかしJICAとしては医療ミスがあった時などのために、医療行為を行うことを禁止しています。私たちの仕事は技術や知識を指導・提供することなので、直接的には介入を行いません。
とりあえず、衝撃的なことが多かった実習ですが、無事に終わってよかったです。
DZALEKA難民キャンプへ
マラウイ国内には数か所、難民キャンプがあります。
私の任地カロンガにも1か所あるのですが、今回はリロングウェから一番近く、またマラウイ最大の規模であるDZALEKA難民キャンプへお邪魔しに行ってきました。
ここは1つの村を形成しており、隊員の一人がボランティアで炊き出しのお手伝いをしているとの情報を得ました。
今回、お邪魔したのが日曜日だったので炊き出しはやっていませんでしたが。
朝、7時ころにドミトリーを出発したものの、miniバスにお客さんが集まらず…結局バスが出発したのは8:30頃でした。
難民キャンプはリロングウェからminiバスで1時間半程のところにありました。
入口にはマーケットがあり、可愛いチテンジを発見!思わず買ってしまいました。
そして、どこがキャンプか分からずにとりあえず「あっちの方角」と言われた方へ進む。その辺を歩いていた人に、難民キャンプどこ?と聞くと、なんと、、、
「here!!(ここだよ!)」とのこと。
え?ここ??普通に村じゃん!!
ということで、難民キャンプは普通に村でした。
美容院も、小さい雑貨屋も協会も集会所などもあり、近くに大学もありました。
協会に顔を出したら皆の前で演説?をさせられました。マラウイではどこに行ってもmost welcome で迎えてくれます。
ここで話されていたのはスワヒリ語とフランス語。
大学の近くでは難民キャンプに暮らす若者に話を聞くことができました。
「自分たちは難民なので自由はない。IDもパスポートもないためマラウイ国内を移動することも許されていない。勉強したくても、大学も決められた3コースの中から選ばなければならない。貧しく生まれた者は貧しく死んでいく。」
と言われました。
貧しく生まれた者は貧しく死んでいく…
難民の中には、紛争等で国を追われた人々もいますが、政治難民もいます。彼らは他の人々と比べ、裕福です。スキルを持っている人やお金がある人達は美容院やお店を持つことができますが、貧しい家に生まれた人はどうあがいても裕福にはなれないとのこと。
IDもないので本国以外では就職もできないし、キャンプの中での雇用もないそうです。
私たちは日本という裕福な国に生まれ、生きています。安全も保障されており、自分の人生も選択できます。紛争、内戦、難民。よく聞く言葉達ではありますが、ここマラウイでこのような現状を目の前にし、私は彼らにかける言葉がありませんでした。
このキャンプは難民の受け入れをストップします。規模が大きくなりすぎたのが原因とのことですが、そのうちここに住む人達は他のキャンプに移動しなければならないことになるのでしょうか。
カロンガにも難民キャンプはあります。赴任したらそこを訪れ、アフリカの現状をもっと知りたいと思います。